2023年度 東京都精神科医療地域連携事業 症例検討会


2023年9月15日(金)17:30〜18:35 昭和大学附属烏山病院 中央棟4F 集会室  *ZoomにてWeb配信

司会進行 横井 英樹(昭和大学附属烏山病院/昭和大学発達障害医療研究所 臨床心理士。以下、横井)

テーマ『発達障害について』

症例発表

佐賀 信之 昭和大学医学部 精神医学講座  兼任講師

横井:それでは、早速、症例発表に移りたいと思います。今回のテーマは発達障害です。発表は、昭和大学医学部精神医学講座  兼任講師、佐賀信之先生にお願いをしております。佐賀先生、どうぞよろしくお願いいたします。

佐賀 信之(昭和大学医学部 精神医学講座  兼任講師。以下、佐賀):

 ただいまご紹介いただきました昭和大学附属烏山病院の佐賀と申します。本日は、私が担当しております28歳の男性患者さんについて症例を提示させていただきたいと思います。こんなにすばらしく治療ができたというような発表ではありませんので、皆様の中にも同じような困難症例があるかどうかとか、皆様の中でこういうふうにしたらどうかといったような提案などいただけると大変うれしいかと思います。

 

 では始めていきます。問題行動のある成人期発達障害の方ということで、発達障害者に起こり得る問題行動を簡単にまとめてみました。行動障害といった場合に、自閉症や知的障害者などが、自傷や危険行為、他害・迷惑行為などを高頻度に繰り返すようなありさま。その中でも、ADHDの人に関しては、反抗挑戦性障害、行為障害など、小さいときからどんどん悪い方向に進んでしまっていくということで、破壊的行動障害といったような呼ばれ方をしていることがあります。

 

 主訴、もうこんなことは治したいです。行動障害があって問題行動をするということで、残酷で意地悪な人かと思うんですけれども、そうではない。お母さんが統合失調症で、統合失調症がありながらも音楽の先生を続けていらっしゃるという方、お父さんはASDで大学教授をされているという方です。

 47週で生まれて分娩時の異常はなかったんですけれども、小さいころごっこ遊びはない、関心のあるものを親に示したりはしない、人見知りもないというような、何となく発達障害っぽいところがあるのかなという子でした。

 

 小学校に上がっても、ぼうっとしたところがあって、忘れ物がないように親やおばあちゃんが準備してあげなくてはいけない、勉強は漢字や算数が不得意で、後にLDではないかと言われてしまうんですが、九九もできないし漢字も読めないというような子でした。友達は多いのかというと、クラスの輪には入れなくて、小学校5年生ぐらいになると、かんしゃくを起こして(物に当たるようになった)というふうなことがふえるようになりました。

 

 初めは物に当たっていたんですけれども、中学校に上がると、子供たちも関係性が複雑になってきますので、いじめを受けて不登校になって、今度はお母さんやおばあさんに当たるようになりました。15歳のころに、暴力がひどいということで子供相談室に相談したところ、アスペルガーや学習障害ではないかということで、近医の精神科クリニックを受診され、そのときに行為及び情緒の混合性障害の診断で薬物療法を開始されました。

 問題行動の内容として、お母さん、おばあさんはたまったもんじゃないんですが、たたく、殴る、どなるということが繰り返される。クリニックで調べたところ、WISC-RでFIQが101、VIQが111といったように、知的におくれてはいないというような結果が出ました。このとき、衝動性を抑えるということで、向精神薬をリスペリドン、インヴェガと導入したんですけれども、衝動性の低下は不十分で問題は残るといった状況でした。

 

 上の学校に上がっていきますけれども、ここでも不登校になって、普通科には行けずに通信制高校に転校。このとき、この子はITやゲームに非常に関心が深くて、教わらなくても自分で独学でC言語というコンピューターのプログラミング言語を勉強したり、ゲーム機の改造なんかも自分でネットをあさって調べてきてやるというふうに、興味があるからとてもできるのか、知的に複雑なことができるのか、そこら辺は微妙ですが、そういったことができていた。お医者さんの前に来ると穏やかですけれども、おうちの中ではかんしゃくを起こすというのが続いていました。

 インヴェガを飲んでも全然変わらないということで、さらなる精査を求めて、発達障害に詳しいところということで、2年後の8月に当院を初診されました。WAISとかとるんですが、そのときはWISCでとったときに比べてちょっと低い値が出るので、境界知能かもというふうな診断が出ます。

 特定不能の心理発達の障害。単純にASD、ADHDとすぽんと決まらない、どちらの特徴も持っているような子だったので、そういったような診断名がつきました。

 当院に継続通院して、お薬は飲んでいるんですけどそこまで効かないので、お薬ではない治療が必要ということで、高校生のとき、当院のデイケアの通所を開始されています。WAISは、今度はVIQが82、FIQが72。さっきはVIQが111、FIQが101だったのが、随分違うなというふうになってきています。

 

 デイケアで治療介入をしていきますと、デイケアの中では、あんまりじっとしていられない落ちつきのなさとか、みんなに合わせて何かをするというのはしないで、自分の趣味のことが大事というふうな様子が都度都度見られました。注意を受けて、一応その注意された内容はわかるし、素直に聞くんですけれども、行動を変えるということはできなかったです。

 この趣味に関する一方的な会話、ノートPCを取り出して勝手に遊ぶというのは、ASDなのかなADHDなのかなというところなんですが、退屈なものに我慢できないとか、やっているプログラムに集中できないといったような雰囲気も見られて、これはADHD特徴かなというふうに感じられるところもありました。

 もちろん、自分が困難に思っている、コミュニケーションが苦手だったり、すぐに気持ちがパニックになってしまうというふうなところは自覚されていて、デイケアの中で、発達障害の方同士、メンバーさん同士が話し合うというシチュエーションの中では、そういったことをほかの方の体験を聞いて、自分も同様だというふうな自己認知を深めていくというのはできています。

 

 昨今はあんまり発達障害を障害と言わないという風潮もありますけれども、この方の場合は、「やっぱり障害は障害と言ってくれないと。障害じゃないよと言われたら、どうしてこんなに自分が苦しんでいるのかわからない」というふうに、理解と配慮を求めたいという姿勢を見せていました。

 この人の根本的なところは、人とつながりたい、人と共感したい、自分は社会に役立ちたいというふうな思いを持っている。非常に多趣味。ITのことも好きだし、医学のことにも興味があるし、自動車や飛行機も好きで、いろいろとネットをあさって調べたり動画を見たり勉強して、もちろん雑学的知識なんですけれども、そういうものは非常にたくさんで、そういったものを喜々として話す。感情表現は豊かですね。

 

 そういうふうなちょっと人間的にはすてきなところもあるんですけれども、じゃあ家の中ではどうだったかというと、ひどい暴力は全く変わりません。お母さんやおばあさんをたたく、蹴る、水や熱湯をかけるみたいなことは変わらない。お母さんは音楽の先生をやって、おばあさんは新聞配達で生計を支えていて、お父さんはとっくの昔に離婚してしまっているんですが、そういうふうなお母さん、おばあさんなんですけれども、自分の思いどおりにしようと思って、おどしつけ、恫喝して、夜寝かせない、困らせるみたいなことをした。自分の好きな動画を何時間も見せて、内容に共感しなかったり、お母さんがうとうとしていたりするとどなりつける。

 本人に言わせると、自分が好きなものを共有して、お母さんにも喜んでもらいたいという思いだったんだそうですけど、それは全然その目的には反している。むしろ、お母さん、おばあちゃんは困っている。お母さんを困らせるために、多額の買い物をしたり、家具を壊したりというふうな、それがすごくエスカレートしているという状態でした。

 そのためにやったことは、やっぱり一緒にいるからトラブるんだということで、グループホーム入所を試みてもいたんですけれども、グループホームのルールに従うということができないとか、学校の近くにアパートを借りてもすぐに寂しいといって戻ってきたりして、全くどうにもこうにもならなかった。薬物療法で激情とか衝動を抑えるためにバルプロ酸なんかを使ってみて、微妙に効果はなくはないかなというところですけれども、こういった行動がおさまるということではなかったです。

 

 高校を卒業して、デイケアに通いながらIT系の専門学校に進学しましたが、好きなことはできるんだけれども、クラスメートとかの関係はつくれなくて、冷たくされたといって落ち込んだりということで、結局行かなくなった。自宅にこもって、そこでまたそのうやむやを暴力で発散させるということで、かかわりがあってから5年ぐらいたちますが、当院に任意入院ということになりました。

 最初の主訴にありましたが、そういう自分はよくないという認識があって、それを変えたいという希望も持っている。入院治療は、薬物治療ではどうにもならないので、どうやったら衝動性の中から自分を取り戻すのかとか、そういったことをトライしてみたり、身近な大人で、親、おばあちゃんだけではなくて、信頼できるほかの大人との関係性をつくるといったところなどを工夫していました。

 おうちに戻ればまた暴力を再開してしまう。よくありますよね。家庭内暴力みたいになって、もう親の顔を見たらどなるが条件反射みたいになってしまって、なかなかコントロールできないという人たちがいますから、それを防ぐために、もう一回単身生活で、ひとりでほっておくとだめだから訪問看護師さんに来てもらおうみたいなことをしました。

 

 しばらくは頑張るぞとやっていたんですが、結局のところ、専門学校を卒業して就労移行支援事業所に通い始めたんだけれども、就労移行なんですが学生よりは大変なので、社会はもうちょっと無理だというふうに嘆いて、そんなにお母さん、おばあちゃんに暴力を振るうんだったらなぜ家へ帰るんだとも思うんですが、またなぜか実家に帰ってくる。実家では、間が持てないとか退屈みたいなことでまたかんしゃくを起こして、暴力行為をしてしまうということが起こりました。

 

 それは警察が来るほどにもなっているんですけれども、すぐクールダウンしてしまうので、警察が来るころには冷静になって、お巡りさんも、何でそんなに興奮していたのか、本当だかどうだかわからないというふうな、そういったことが何回も繰り返されました。

 間が持てない、退屈が苦手というのはADHDの方はよく言うのでストラテラとか使ってみたんですけれども、薬物療法はちょっと効果があったかなぐらいで、なくはないけれどもあまり劇的には効かないというのが繰り返されています。

 2度目の入院ということで、気分が落ちたり上がったりみたいなことと、それに連なっての暴力が続いてしまって、今回は自殺企図ということをしてしまったので医療保護入院になりました。医療保護入院なので本人同意がない。やりたいことがたくさんあるのになぜ入院なのですかと。

 (気分が)上がったり下がったりということでMDIではないかというふうに感じるんですけれども、環境を変えると割と情動は安定してしまう。空気は十分に読めないというふうな感じです。ずっと入院して、ずっと薬を飲ませていたら、統合失調症やMDIの人は治るのかもしれないけれども、この人の場合はそれで治るというわけではないので、実家から離れて頑張りましょうということを仕切り直して、退院ということになります。

 

 その後、デイケアとか作業所とかそういうところを利用しながらも結局うまくいかなくて、家庭への暴力が続く。家庭への暴力と単純に言っていますけれども、それを細かく言うと、お母さんはとても痛々しいあざを毎回つくってやってくるみたいな感じで、ちょっとたたいたのレベルではなくて、ひどい暴力だったんですね。そういうことが続くので、また入院して、また作業所をやり直して、また入院して、家に火をつけると言ったときには、これはもうさすがに措置入院になりました。

 ご紹介した中でももう何度も入院を繰り返しているんですが、逸脱の程度がひどい。家具を破壊しまくって経済的ダメージを与える。お母さんの仕事道具のピアノを壊す。暴力は、お母さんが毎回あざをつくって来るみたいな様子で、とてもひどい。

 この人は、ちょっと2回目のWAISは低かったんですけれども、お話ししている、もしくは自分の趣味方向でやっていることについてはレベルは低くない。プログラムも自分で書けるしみたいなことで、知的にもそんなに低いというわけではない。

 

 人格的に、例えば残酷なことを楽しむとか、残酷なことをしても何も感じないという人ではない。優しさもないわけではない。クールダウンしているときには物の道理がわかるし、向上心、自分を変えたいという気持ちは入院のときもいつもあった。でも、それにもかかわらず何もかもがうまくいかないので、自分の人生を絶望したり、自分はだめだというふうな感覚が強くなっていく。

 

 この方は、空気を読まない行動とか、自分の衝動性に引っ張られて勝手にやっちゃえみたいなところはあるので、ほかの人の心情も振り返って考えればわかるけれども、その場でリアルタイムにすることは難しい。状況をぱっと察知するのも難しい。この人は常識がないわけではなくて、ゆっくり話せば常識的なことを知っているけれども、知っていてもそれをリアルタイムの現場で実行できない。

 目の前のことを近視眼的に見て、広く状況を見て全体を見て適切に振る舞うというのは苦手。今はつらいけれども1年後2年後はみたいな長期的展望は基本的に難しい。刺激や楽しさを求める。これは、この人のせりふでも「つまらないよ」「退屈だよ」「刺激が欲しいよ」みたいなのがあって、日曜日とか何もない日にのんびりとかというのはできないですね。一度エスカレートすると感情にブレーキをかけるのは結構難しい。僕も外来で暴れられて、この子をけがさせないように抱きしめて、「どうどう」と動物をなだめるようにしてクールダウンさせたみたいなこともありました。

 

 この子が抱えている問題の構造です。さっきもご紹介したとおり、他人とつながって、社会に役立ちたいという思いがある。でも、それが障害特性があるのでうまくいかない。うまくいかない結果、暴力等の不適応行動に出たり、こういうときにはこうしたらうまくいくという適応行動学習が難しい。失敗を繰り返すので、悩みとか、自己効力感が低下する。それが逆のフィードバックで、ますますうまくいかないというところにつながっていく。こういうふうな悪いループが形成されてしまっているということがあります。

 

 措置入院して退院後ですが、またB型作業所を利用し始めるんですけれども、やっぱり退屈とか、みんなお話ししてくれないというので、ちょっと行ったり行かなかったり。作業そのものは全然この人にとってはできるんですけれども、無言で淡々とはできない。朝起きられなくて時間どおりに行けない。興味があることが目の前に来るとそれに集中が飛ぶ。わがままでだめな人というよりは、この人自身も疲れて大変というところがあります。作業所のスタッフの方々が傾聴を重視して、そういう気持ちなんだねというふうにかかわってくれて、やめずには済んでいるんですけれども、この人のためだけに時間をかけるということで作業所さんの負担も大きい。

 この人の言っていた言葉です。「メンバーも誰も話をしてくれない。人との交流が欲しい」。人とつき合いたいんだけれども、うまくできないので孤独になってしまう。「きっと今のところをやめてもうまくいかないだろうな。それって発達障害なの?」。やっぱりルールを守ろうよみたいなことを言っても、何で枠に従わなくてはいけないのかがわからない。「先生も何で安月給で働いてるの?」。いや、それは君と会えるからだよとか言っちゃったりしますけどね。

 

 DBDの治療。こういうふうにADHDの人がどんどんどんどんエスカレートして攻撃的、乱暴になっていくということに対して、実際にどういうふうな治療法があるのか。お薬で一発で治ることは絶対ないです。子育て介入のエビデンスはあることはあるんですけれども、大人になってしまった人の有効な介入はないです。ASDの人だとTEACCHとかというふうなものもありますが、それも幼児期から、あと幼児期から大人になっていったという人の介入はエビデンスはあるんですけれども、大人になってからの介入はないです。

 しかし、環境調整とか、ペアレントトレーニング、親ということではなくて周りのかかわる人たちへの理解と教育みたいなこと、障害への自己理解や周囲の理解というものを含めて深めていく、困難への対処法の検討みたいな、児童に対する一般的な治療は成人にも恐らく有効だと思います。この方にも多少有効かなというところは感じております。

 こういう方は楽しくて暴力行為をしているかといったらやっぱり悩んでいるでしょうから、そこに抑うつ等の併存症状があることが多くて、そういったものもフォローしてあげることによって、全体として症状が軽減するというのに有効であるという報告もあるそうです。

 

 私は、この人はADHDとASDの特徴もあるんだけれども、ADHD的な衝動性とか多動とかそういうところがあって心が生き生きとダイナミックに動くというのは、ADHD寄りではないかと感じているんですが。そういう人も共感性がうまくできないというところが言われていて、ASDだけが共感できないというわけではないんだということも、皆さんご承知の方も多いかと思いますが、知ってくださるといいかと思います。

 不注意症状が高いと、ほかの人の気持ちを目に映っていても見えていない、キャッチできていないということがあって、それを推察することも困難で、一方で、心のダイナミクスはあるので、それで自分が苦しむといったことは非常に高いという可能性があると言われています。

 

 さっきの問題の構造の画面が戻ってきました。この人は困っていて、周りも困っていて、じゃあどうしていこうというところは大事だと思います。他者とつながりたい、他者と共感したい、社会に役立ちたいというふうな気持ちがあるということは、理解と共感、長期展望の提示でそういった本人の願いというものを支えていく。

 理解と共感ということですが、発達障害特性がある方に対してどういうふうに傾聴を進めていくか。ADHDの方は、放っておいても勝手にしゃべるんですが、脱線するときは方向修正。ほっておくと無限にしゃべってしまうということと、トラウマとかがある方は、泥沼のようにつらいことを言い出してしまってどんどん落ち込んでいくので、そういうふうにならないように方向修正が必要かなと思います。

 ASDの方は、みずからしゃべるというのは苦手なので、うまく会話に合いの手を入れたりして話を誘導していかないと、こっちは「うんうん」と聞いてASDの人に勝手にしゃべれとやると、それは拷問になってしまって傾聴とか続かなくなってしまう。

 

 そこは発達障害の方の特性のバランスによって、上手に傾聴のときに対応してあげると相手が話しやすくなると思います。いじめ体験とかでトラウマがある方は、例えば「子供のころのあいつらをみんなのろい殺してやるんだ」みたいな攻撃的なことを言うこともあるんですが、関係性ができるまでは批判しないということは結構重要かなと思います。「それは社会では許されないよ」とか、「そんなことをしたら警察が逮捕に来るよ」みたいなことを言うと、その患者さん、当事者と支援者との間も敵対関係になってしまうので、とりあえず批判はしないというのが、最初、関係性ができるまでは必要かなと思います。

 お話を聞いているときに、ただ「うんうん」と聞いているというのも方法の一つかもしれませんが、そこで自己認知の手助けとか、アイデンティティーとして認知の再構成とか、失敗続きの発達障害の方は他人との関係性がつくれていないので、その人にとっての心理的な安全基地になれるような言葉を添えるということをしてあげると、治療的介入になるのではないかと思います。

 

 「あいつら俺のことを無視して、いらいらする」。発達障害の方は、自分の感情を振り返るとか、あるいは感情の分化がまだ未熟なのか、寂しいも、腹が立つも、不安であるも、全て「いらいらする」というのを大人の人でも言うことがあるので、いらいらしているというのを、こっちが勝手に腹が立っているんだなというふうな解釈を与えると、怒りという強化をしてしまう。

 それに対して、「本当はそのとき悲しかったのかもしれないね。あなたがいらいらと表現しているその感情は悲しみなんだよ」というふうに、怒りから離すみたいな感じで、自己認知の手助け、認知の再構成ということですが、そういったことで介入していくと、相手の発達障害の当事者の方の心を開いていくというのにちょっと役立つかなと思います。

 トラウマティックな怒りをずっと抱えている人がいるので、殴ってやろうと思うみたいなことを言い出すと、さっき、攻撃的なことを言って犯罪的なことを言ってもいきなり批判してはだめだよということを申し上げたんですが、このときにこういうふうな発言に対して、この当事者の人を攻撃した向こうにも言い分があるかもしれないみたいなことを言うと敵になってしまう。

 その人たちがいいか悪いかはこちらにはわからないので、「そいつらのことはともかく、殴ったら君が批判されてしまうかもしれないよ」と。批判するのは世間であって、面と向かっている私ではないということで、「君が批判されたら先生は寂しいな」みたいな感じで共感を示す。世間的なメジャーを示して、それは先生が直接批判しているのではないということと、社会的な物差しを示すということと、共感を示すということを、こういうふうなせりふで行ったりします。

 

 そういった形で本人の願いというものを理解したり共感したり、あとADHDの人とかASDの人もそうですが、長期展望というのを見るのができないことがあるので、今の自分はだめだから一生自分はだめだと考えたりするんだけれども、そうではないよということです。人間というのは伸び代があるから、今の自分がだめでも未来の自分にはできるかもしれないよという形で、未来への希望を支えるということを示していきます。

 不適応行動に関しては、定型発達の方と発達障害の方では物事の認識の仕方、考え方が違うので、そこのギャップを支援者の人が、通訳という表現をしているんですが、そういうことで埋めてあげると理解が深まってくると思います。

 

 空気を読みなさい。これは、僕の担当患者さんの中でも、他院のデイケアに通ったときに、デイケアスタッフの方から、空気を読んでうまく振る舞おうと言われたことがあるというのを聞いたことがあるんですが、発達障害の方に空気を読みなさいというのは、支援する側がいきなり無理難題をしてしまっているということです。

 「空気を読むって、相手の表情や声色、TPOなどの情報をよく確認しろということらしいよ」と、具体的にこうしたらそれが空気を読むということだよというふうに説明したり、自分は何でそんなことを気にしなくてはいけないんだという疑問に対して、「定型発達の人は、そういうことが脳の機能でオートマティックにできるみたいだよ。君はそうじゃないけど。定型発達の人は楽でいいよね」みたいな、定型発達の人と自分とがどう違うのかとか、共感という意味で、発達障害であるあなたは大変なんだよみたいなことを伝えてあげたりもしています。毎日生きるのがつらいということを共感してあげているということでもあります。

 

 退院後、すごいことが起こります。退院してもかんしゃくで家具破壊とかをしていたんだけれども、新聞配達をして献身的に家族を支えていたおばあちゃんがクモ膜下出血で倒れ、そのまま植物状態になります。

 このおばあちゃんのことを、この当事者の28歳男性は「うちの祖母は脳筋だから、体、いくら酷使しても大丈夫だから」というふうな表現をしています。ご高齢なのに、普通はそう考えないんですけれども変わらないんですね。おばあ様がクモ膜下出血で倒れて初めて人間が有限なんだとわかった。おばあさんに甘えていたんだよね。おばあさんがいたときより、お母さんとのけんかはなくなった。これだけものすごいイベントがあって初めて学習が進んだというふうなことがありました。学習はするんだけれども、定型発達の人と同じようなスピードとか、同じような体験で学習は難しいんだなという出来事でした。

 お母さんと多少衝突は減ったんですけれども、全くないというわけではないので、またちょっと離れたほうがいいよねということで単身生活を再開しました。この人は人とつながりたいというふうな願いを持っているので、ひとりきりにすると寂しくなって実家に帰るということになってしまうので、相談支援センターや作業所の担当者、訪問看護師さんとか、外来、私でということで人とのつながりを埋めるという形をとっています。

 作業所はこの子にとって退屈で、作業が簡単であればできるとかという話ではないので、飽きてしまうので、先生の顔を立てて行ってあげるよという感じでしか行かないみたいなところもあるんですが、行ったり行けなかったり。

 今どうしているかというと、自転車で毎日数十キロ、20キロ30キロじゃなくて50キロとか60キロとか、東京から埼玉だったり栃木だったり行って、スマホで写真を撮りながら、作業所に行かないときにはそうやって日々過ごしている。放浪の旅人みたいな、戻ってくるので旅人ではないんですけれども、何ともはや、ADHD系の人には似合っているのかなというふうな日々を今過ごしています。

 単身生活は継続し、暴力行為も減っているけれども、放浪好きというのでエネルギーとか衝動性を発散しているのかなと。放浪するというのは自分の裁量で動けるので満足感が出ているのかなと。ただ、それだと通所はちょっと厳しいということになってしまうと思います。

 現在のこの人の将来の希望は、今自転車でくるくる動いているので、乗り物の職業につきたいなと、宅配ドライバーとか、割と現実的な提案をするようになってきています。もちろん、宅配ドライバーというのは、ルートを自動車を運転していればいいというだけではなくて、会社員として社会の中で適切に振る舞うというのがあります。恐らく、車を運転することよりも、社会の中で適切に振る舞うが、まだこの人のハードルではあるんですけれども、現実的な夢を抱くようになってきているというところです。

 

 まとめに入っていきます。この人だけに限らなくて、皆さんのところでも困難症例というのがあると思うんですが、障害特性のために社会や環境に不適応となって、自尊感情を損なうことを繰り返して、より大きな不適応や逸脱を起こすケースはあると思います。

 療育というのは、普通は小さいお子さんから上手に適応できるように育てていくという意味のことを指す言葉だと思うんですけれども、この方は成人ですが、薬を飲ませて治すとか、お説教をして治すではなくて、この人の願いに寄り添って支えて、こちらが長期展望を持って、この人自身がくじけそうなときに支えてあげる、どちらかというと治療というより療育と呼ぶべきようなかかわりが必要ではないかというふうな印象を持っております。

 先ほど申しましたが、暴力は軽減してきて、それはすごくいいんだけれども、社会の中でどのように生きていくかというふうな課題はずっと残っているかなと思います。

 この症例、あるいはこのような方々への介入について、皆さんのご意見などいただけましたら幸いと思います。ご清聴ありがとうございました。

横井:佐賀先生、ありがとうございました。この後、パネルディスカッションの中で、今の講演を聞いていただいた方のご質問とか受け付けたいと思いますので、よろしくお願いします。パネルディスカッションに移る前に少し準備がありますので、しばらくお待ちいただきたいと思います。

(休 憩)